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ラベル(ヴィパッサナー瞑想)が付いた投稿を表示しています

慈悲の瞑想 ステップ・バイ・ステップ 直感に従ってやってみること

こんにちは。 先日、瞑想仲間と話していたところ、慈悲の瞑想についての話になり、私が2ヶ月くらい前に考えついて、でも書くのも面倒だなと思って書かないでいたアイディアを伝えたら、書けと言われましたので、書いてみます。 これまで何個か、慈悲の瞑想について、ブログ記事を書きました。 たとえば、 慈悲の瞑想 http://juryoku.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html 慈悲の瞑想について ヒントになることのそのリンク集 http://juryoku.blogspot.jp/2016/09/blog-post_4.html 慈悲の瞑想についての一考察: 慈悲、欺瞞、偽善、行動という視点から http://juryoku.blogspot.jp/2017/08/blog-post_12.html など。 さて、三番目の記事で書いたように、慈悲の瞑想は嫌いな人にはとても嫌われる実践ですが、やるかやらないかはすべて個々人の選択であり、やらないことを責めるつもりは全くありません。やらないと駄目と言うつもりもないです。ただ、「 やれば楽になることはある 」と言えると思ってます。また、マインドフルネス、ヴィパッサナー瞑想の準備体操みたいになるので、もしそれらをやってみたいなら、一つのトレーニングとしておすすめできるとも思います。 なのでこの記事は、「ちょっと抵抗感強いんだけど、心にいいならやってみてもいいかなあ」位に思っている人から、どうにかして心を落ち着かせたいんだけど、抵抗強いんだ、辛いんだ、という人、あるいはヴィパッサナー瞑想を進めていくためのトレーニング、そして慈悲の瞑想の仕方を、感情的な嵐の中にいて苦しんでいる人に伝えるための一工夫といったような目的意識で書いてます。 なお日本テーラワーダ仏教協会の慈悲の瞑想をもとにしたステップバイステップだけど、グナラタナ長老バージョンでも同じようにしていくことはできると思います。また、あくまでも私案であり、誰かに対して実践してみたものでもありませんし、日本テーラワーダ仏教協会とも関係ありません。そのため、一切の責は私にあるということでお読みください。 慈悲の瞑想 直感に従うステップ・バイ・ステップ  1. 基礎部分 さて、慈悲の瞑想は「5つの対象」に...

欲と必要性、仏道とシューティングゲーム

これは極めて個人的な感覚であることを断っておく。 また、私は、数日間ゲームに没頭してしまうくらいに、中毒のようになってしまうタイプの人間であることも断っておく。若い頃は、20時間近く連続でゲームすることもザラだった。依存症者のようなものだ。 ゲームという消費 3日前に、久しぶりにゲームをやって時間を潰した。スマホの単純なパズルゲームだ。 結果、いつもと同じように、極めて激しい虚しさに襲われる。 やっているときはそうでもない、楽しんでいる。快楽のひとときだ。だが終わったあとのあの誰にとってもなんの訳にも立たなかった、ただ費消された時間への、すごい後悔と言うか虚無感はなんだろう。苦しくて仕方なくなる。充実感ゼロの時間。ただ消えた時間。 で、ふと思ったが、ゲームに限らず、欲望で行った行為は、いつもそうなる気がする。たくさん食べるのも、遊ぶのも、「したい」「やりたい」という感情から出た行為は、何故かいつでも、虚しいという結果に行き着く。 *この感覚が、もしかしたら僕を、依存し続けることから救ってくれていたのかもしれない。 逆に、必要のため、なすべきことのための行為をしたあと、虚しさというのは現れない。 やっているときはつらくても、成し遂げたあとに充実感が生まれる。やってよかったという感覚が生まれる。 常に、そうなのだろう。 「したい、ほしい、やりたい」そういう感情を元に、そういう衝動を元に行為したあと、多分、僕はいつでも、苦しむ。結果が常に辛くなる。その時間は二度と取り戻せないし、何よりその時間で得たこと、役に立ったことがゼロなのだ。ゲームがうまくなっても、何も変わらない。現実はゲームほど単純なことはほとんどなく、得た知や技能は、適用できない。 *シミュレーションゲームはちょっと面白みはあるかな。富国強兵策の基本を取ればだいたい負けないとかは中学の頃に学んだ。 だからこそ、常に、「したいこと、ほしいもの」なのか「なすべきこと、必要なもの」なのかを、判別して生きていかねばと思った。 常に、なすべきこと、必要なことだけをこなしていければ、日々は充実感に溢れ、幸せにあふれるだろう。 それにまた、欲望と対立した必要性という軸の事柄は、それほど多くない。つまり、雑事が少なくなる。無為の時間が現れる。瞑想、実践に費やすことがで...

ラベリング瞑想で難民化してしまいそうな方のためのガイドライン(私案)

ラベリング瞑想という言葉やラベリングにまつわる問題について ラベリングを用いるヴィパッサナー瞑想(マハシメソッド)について(その1)   ラベリングを用いるヴィパッサナー瞑想(マハシメソッド)について(その2)   と書いてわかったことがあるのだが、その前に「動機」を書いておこう。 1. 動機 一連のエントリーの動機は、  「ラベリング・実況中継する瞑想が合わない、あるいは瞑想難民になってしまった方々の、ラベリングについての理解、認識が私のものと異なっている」 と思われたことが挙げられる。同様にプラユキ先生がラベリングで陥る問題として挙げるものも、まさにラベリングを用いる瞑想をやっている人たちが「 やっていないこと 」と思われる。 これが事実なら、 うまく行ってる人、うまく行ってない人は実は同じラインを示している 。上手くいかない人がやっていること、うまく行ってる人がやってないこと、これらはほぼ同一の可能性がある。したがってここを明らかにすれば、ラベリング系瞑想の注意点が明らかになり、瞑想難民化を防ぐ一助になると私は考えた。 またうまく行ってない方々が語るラベリング瞑想の姿はちょっと違う感じがすることが多く、それがやり方だという理解が一般的になると、それもまた事実に合わないと思った。 以上の二点が動機となり、明らかにすべき、整理すべきことと見えた。 2. ガイドラインの明確化 あらゆる瞑想法にはガイドラインがある。 例えば座禅では、背をぐにゃぐにゃに曲げ、体を揺らしまくり、おしゃべりし、手を動かし、といったような指導は決してなされない。その逆がガイドラインだ。 プラユキ先生が手動瞑想を指導されるときは、ぐぐっと手のひらに集中して、それだけになるように、手しかなくなるように、その動く軌跡のすべてに気づくように、とは指導されない。その逆といえる。 その他、アナパナ系では、額に気を集めて、とは指導されない。寝ろとも声を出すようにともされないだろう。 このようにすべての瞑想技法にはガイドラインがある。当然スマナサーラ長老のものにもだ。そこでここでは、私が理解しているスマナサーラ長老の瞑想指導を、コンパクトにし、明確化してみる。 ※明確化には功罪があ...

ラベリングを用いるヴィパッサナー瞑想(マハシメソッド)について(その2)

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ラベリングを用いるヴィパッサナー瞑想(マハシメソッド)について その1 の続きです。 チャルーン・サティの手動瞑想との類似点 マハシ式では歩く瞑想、手の上げ下げ瞑想など、型を定めることもできるが、はっきり言えばすべての動作、行為を瞑想化することができる。この時行うのは、動作への気づき、それに合わせてラベリングすること。それ以上でもそれ以下でもない。が、この行為、動きに気づくことの結果として、今渦巻く感情や思考から離れる。 これはプラユキ先生が指導されているチャルーン・サティの手動瞑想とほぼ同じような結果を導き出すし、そのプロセスも似ている。 https://www.youtube.com/watch?v=gcBeC6Qdg9k 異なる点は、歩く瞑想をするならば、下半身の動かしている方だけが全てになるくらい集中し、そこに生じる感覚に気づくようにというように指導をされること。つまり 集中力についての取扱が異なる 。 チャルーン・サティでは感情が浮かんだら、パッと手に戻る、その位置に戻るというように自由な浮遊があって、それでいてある特定の時空(手)にアンカリングする。その時、多分初期は、ぐっと集中させない。軽く振れるくらいの気持ちで、ふわっと気づくように、という感じだと思う。 が、マハシ式の動中禅ではそもそもその領域全体に心を係留するように、集中力によって気づきが常にその辺に漂うようにという指導になる。ただ、座るときは、お腹の膨らみ・縮をベースラインに設定するし、心がさまようことはそれほど妨げないけど。 https://twitter.com/i/moments/818739025028616192 で、私個人で言えば、そんなうまくは行かない。心は常に泳ぐし、さまよう。妄想の海を泳いでいる。 けど、明言されてないかもしれないが、くじける必要はまったくない。(色んな所で、スマナサーラ長老ははっきりいっている気がするけど…) 今失敗したならまたやればいい。 「 何万回でも繰り返せばいい 」 そういう前提がヴィパッサナー瞑想にはある。 というか、ものすごい回数失敗するのは前提。だって誰もほとんどやったことのない心の使い方だから。超難しいから。慣れてないから。それが大前提。 だから口ぶりは厳しいように見えるが(スマナサーラ長...

ラベリングを用いるヴィパッサナー瞑想(マハシメソッド)について(その1)

以下は、あくまで、途上の人間が、途上の人間に浮かんだ見解を書いたものです。見解なんてくだらないものです、と予めいっておきます。 ですから、参考程度、落書き程度に思って読んでいただければ幸いです。 *かなり長くなったので分割しました。 その2 に続きますが、結構主題は変わっているので問題ないかも? --- 以前、ラベリングを用いるヴィパッサナー瞑想についてかいた。 ラベリング瞑想という言葉やラベリングにまつわる問題について この瞑想法は、「マハーシ・サヤドー」がまとめ上げたものなので、マハシ式、 マハーシメソッド、などと呼べるし、twitterでは言葉を短くするために(140字だから)、マ式ヴィなどと言っていることもある。 イケメン マハシ長老 のお写真 https://twitter.com/ERcUp5PO2AGVtWh/status/886993034902085632 これについて補足をしてみたく思った。 ラベルとは何か、および、ラベルを用いる瞑想は「何ではないか」 について。 ラベリング瞑想では「価値判断」をしない マハーシ式に限ったことではなく、あらゆるヴィパッサナー瞑想、座禅なども、価値判断は行わない。 瞑想中は一切の価値を手放す ものであるから。 で、マハシ式の座る瞑想では心に浮かんだことは例外なく【雑念】【妄想】のどちらかのラベルを貼る。 起きたものに対して、何であるか、どうしてであるかの判断は行わない 。一切の価値判断を捨てる。捨てる=手放すということでもあり、とにかく、離れることになる。 浮かんできたもの、起こってきたものが何であるかをいちいち判断していたらひどく遅くなるし、またその判断の過程で【思考】が割り込み、思考の強化に陥ってしまいかねない。 だから「妄想」「雑念」というラベルを貼るのは物置に放っておくという意味合いになる。 「これらが浮かぶ自分はだめなんだ」 「これらを考える自分は妄想ばかりしていてダメなんだ」 と自己否定を行うためではない。その感情を強化するためでもないし、その感情に耽溺するためでもない。 お片付けのラベル貼り 。そしてちょっと乱暴だが、心に浮かんだすべてを片付ける。オッケーという言葉は貼らないが、じゃあね!ってバイバイする。バイバイしやすいようにす...

ラベリング瞑想という言葉やラベリングにまつわる問題について

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以下は、一介の在家修行者、道の途上にある人間の私見です。体系的に学んだわけでもなければ、出家と同様の戒律を守っているわけでもないので、戯言のようなものとしてお読みいただければと思います。 ラベリング瞑想とは 私がやってるスマナサーラ長老指導の瞑想は「 マハーシ式 」と呼ばれます。釈尊の瞑想を独自に体系化されたのが マハーシ・サヤドー だからです。 参照:  http://www.horakuji.hello-net.info/dhyana/sikan/samatha_vipassana.htm このマハーシ式の瞑想は ヴィパッサナー瞑想 の一種ですが、「 ラベリング瞑想 」と呼ぶ人も多いです。現象を確認するための道具として言葉を用いるからです。 瞑想の名付け方が、瞑想の本質ではない ヴィパッサナー瞑想にはこの他に、 プラユキ・ナラテボー師 指導の「 チャルーンサティ 」などもあります。日本語にすると 手動瞑想 ですね。手を動かすからです。 プラユキ・ナラテボー師 瞑想実践 その他呼吸瞑想とか、歩行瞑想とか、いろんな瞑想手法があるわけですが、すべてわかりやすい特徴で名付けしてますね。この事自体はそんなに問題はありませんし、わかりやすいことで弁別するのは当たり前といえます。 ですが、これらの場合、名前になっている特徴そのものは、ヴィパッサナー瞑想でおこなう主眼となる実践ではありません。 チャルーンサティは、手を動かしますが「手を動かすこと」が瞑想なわけではないでしょう。歩く瞑想も「歩くこと」そのものが瞑想なのではありません。同じようにラベリング瞑想も、ラベリングすること自体が瞑想ではないのです。 「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語 ヴィパッサナー瞑想ではどのようなことをするのか では何が「瞑想すること」にあたるのかといえば、その時やっていること、 起きる現象に「気づく」こと です。これがヴィパッサナー瞑想で行うたった一つの営為です。したがって、あらゆるヴィパッサナー瞑想は根が同じだと思います。 ( 座禅 もその真髄は同じだと私は思います、が、気付きについて語ることはあまりないかな? 有名な禅師の言葉は、スマナサーラ長老やプラユキ師が言っていることとほぼ同じことに思えますし、釈尊へとつながって...

食べる瞑想のときに唱える文言

「食事の観察」 正覚者の説かれた真理を遵守し、正しく観察してこの食事をいただきます。 食事により心が汚れることを戒め、 体を痛めることにも注意し、 壊れてゆくこの肉体の修復のために、 量を計ってこの食事をいただきます。 一切の生命に対して慈しみの念をいだき、 釈尊の説かれた仏道を歩む目的を念頭に置いて、 一切の現象は無常であることを随念しつつ、 この食事を頂きます。 で、いたーだきーます、と食事を始めるとゆっくりと落ち着いて食事できまっす。

第4回 #tTMC のこと 2/23 平日瞑想会のお知らせ

テーラワーダ仏教の瞑想をされている皆様、こんにちは。 第4回の #tTMC についてお知らせです。今回は初の平日開催&今年初です。 #tTMC の基本的な情報については、 #tTMC : twitter Theravada Meditation Circle/Crossover 「Twitter テーラワーダ瞑想サークル/交差点」 のこと  をご参照ください。 それから、第3回のときにオリエンテーション的な文書も作っておきましたのでご確認下さい。内容は同じでいいかと思いますので。参加者によっては変わりますが、たたき台として。 慈悲の瞑想は「人々」を「生命」に置き換えて下さい。 https://drive.google.com/file/d/0B5tsofY2ftmeNC1Pa3kzTkRiM0E/view 前回のこと 第3回 はクリスマスにもかかわらず、7名の方が集まっていただき、マハーシ式を中心に、 ゴエンカ さんの方式で実践をしてみたりしました。これまでに比べると、より、修行チックな時間で、個人的には楽しかったです。45分ほど座る瞑想したりね。 もちろん指導できるお坊さんの集まりではないので、試供品程度の、ひとくちかじる程度の話ではあります。が、いろんなタイプの瞑想を軽く試してみる場にはなれるかと思います。そうすることで、どんな瞑想が向いているかを実地で確認できるかもしれません。またその実感をもとに、初心者指導に出向いたり、法話を聞きにいったり、といったステップを踏んでいくことも可能になるかと思います。そういう最初の一歩になればいいなーと思います。 何より、一人で進む道である仏道にも道連れはいるのだと思えるのは、なかなかいいと思います。仲間ですね。一人だけど仲間がいます。 1. 日時: 2017/2/23 木曜日 13時から17時 2. 場所: 京橋区民館 (東京都中央区京橋2-6-7) 最初から参加される方は、待ち合わせは現地の入り口当たりで、12時50分くらいを目安に。わからなかったら、080-5519-0886 までご連絡を。  ※何時に来ていただいてもOKです。 京橋区民館  http://chuo7kuminkan.com/about/kyobashi.html ...

#tTMC 第3回のドキュメント

を作りましたので、御覧ください。 第3回 #tTMC クリスマス瞑想会のこと

第3回 #tTMC のこと クリスマス瞑想会のお知らせ

テーラワーダ仏教の瞑想をされている皆様、こんにちは。 第3回の #tTMC について書きます。今回はクリスマスに開催しますので、「クリスマス瞑想会」としました。 #tTMC の基本的な情報については、 #tTMC : twitter Theravada Meditation Circle/Crossover 「Twitter テーラワーダ瞑想サークル/交差点」 のこと  をご参照ください。 前回のこと 第2回 は9名もの方が集まっていただき、 チャルーンサティ(Youtubeの動画:音が出ます) を教えてもらえたり、 ゴエンカ さんのヴィパッサナーの話や パオ森林僧院のマハーカルナー禅師 の話がきけるなど、様々な瞑想の情報が得られ、体験もできる場になりました。 もちろん指導できるお坊さんの集まりではないので、試供品程度の、ひとくちかじる程度の話ではありますが、いろんなタイプの瞑想を軽く試してみる場にはなれるかと思います。そうすることで、どんな瞑想が向いているかを実地で確認できるかもしれません。またその実感をもとに、初心者指導に出向いたり、法話を聞きにいったり、といったステップを踏んでいくことも可能になるかと思います。そういう最初の一歩になればいいなーと思います。 1. 日時: 2016/12/25 日曜日 13時から17時 2. 場所: 京橋区民館 (東京都中央区京橋2-6-7) 最初から参加される方は、待ち合わせは現地の入り口当たりで、12時50分くらいを目安に。わからなかったら、080-5519-0886 までご連絡を。  ※何時に来ていただいてもOKです。 京橋区民館  http://chuo7kuminkan.com/about/kyobashi.html 3. 注意事項: 服装 緩い恰好で。 瞑想するのに可能な緩い恰好でおいでください。スキニージーンズやミニスカートとかだとちょっとつらいことになるかと思います。特に後者では僕の目が離せなくなってしまいます。 屋内なので、基本的には寒くないと思います。 持ち物は、各自適当にお願いいたします。 場所代が発生するのでお気持ちでお布施願います。余ったら日本テーラワーダ仏教協会はじめ、色んなテーラワーダの団体に寄付したいと思っています。一応財布...

第2回 #tTMC のこと

(11/15 追記: 当日は晴れて暖かくてとても楽しく過ごせました。新宿御苑はいいですね。駅からも近いし。総勢9名の方が参加してくださり、複数のタイプの瞑想を実践できました。ありがとうございました。 ) テーラワーダ仏教の瞑想をされている皆様、こんにちは。 第二回の #tTMC について書きます。 基本的な事項は、 #tTMC : twitter Theravada Meditation Circle/Crossover 「Twitter テーラワーダ瞑想サークル/交差点」 のこと  をご参照ください。 1. 日時: 2016/11/5 13時から日の入り(16:43)まで 2. 場所: 新宿御苑 13時の待ち合わせは新宿門前で。わからなかったら、080-5519-0886 までご連絡を。 ※何時に来てもOKです。 入った後は、良さげなところにシートを広げて座るつもりです。場所が決まったら、 #tTMC のタグをつけて、Twitterでつぶやくので、それを確認してきてください。 新宿御苑の地図(PDF) 3. 注意事項: 服装 防寒と緩い恰好で 瞑想するのに可能な緩い恰好且つ防寒をしっかり、というちょっと難易度が高いかもしれませんが、外での瞑想になり、瞑想ということは動かないので、寒い可能性が高いです。各自、そのころの基本スタイルよりも一段あげた防寒対策でやってきてください。 以上です。 瞑想経験者、未経験だけど興味のある方、どうぞご自由においでください。 次回は12月中旬以降を考えています。12月17日とか。場所はどこかの和室なんかを借りるかな。いいところを知っていたらご連絡ください。

廻向(えこう)の文

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廻向(えこう)の文は、自分が積んだ功徳を、他の生命にあげますという文言です。 廻向すると、減るのではなくて、増えるようです。増殖分裂するものだと思えばよいかもしれません。 一日の終わりに唱えてもいいですし、瞑想が一段落したら唱えるのでもいいと思います。 私は朝の瞑想の時に、 懺悔請願の文 や 慈悲の瞑想 、そのほか施捨の隨念の時に一緒に唱えちゃってます。前日分というイメージでやってます。 功徳と廻向についての詳しいことは一番下の本やリンクをご参照ください。 廻向の文 仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝に礼拝(らいはい)帰依(きえ)し、戒を守り、 慈悲の瞑想とヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、 神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、 一切の生きとし生けるものに廻向(えこう)いたします。 この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。 そして、解脱が得られますように。 功徳と廻向についての本 功徳はなぜ廻向できるの?―先祖供養・施餓鬼・お盆・彼岸の真意 藤本 晃 国書刊行会 2006-08 売り上げランキング : 89028 Amazonで詳しく見る by G-Tools 仏教の正しい先祖供養: 功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書) 藤本晃 サンガ 2015-02-08 売り上げランキング : 83379 Amazonで詳しく見る by G-Tools 功徳と廻向についてのリンク 【46】 冥想の姿勢/功徳と善行為について 【40】功徳の積み方 【39】功徳とは何か ヴィパッサナー冥想は一番高い徳 - 功徳(1)

#tTMC : twitter Theravada Meditation Circle/Crossover 「Twitter テーラワーダ瞑想サークル/交差点」 のこと

(2016/11/15追記: 出発当初、雨で、ああ屋内かなと思っていたところ、着いたら雨が上がりました。また、2,3人かなと思っていたのに、総勢で5名になり、本当にありがたい一日でした。瞑想したりお話ししたり。人気の少ない代々木公園で穏やかに過ごせました。) Twitter上でのテーラワーダ瞑想サークル/交差点の情報です。10/8 に第1回の #tTMC をやろうと思います。参加される方の参考のために覚書的に書いておきます。 1. 第1回の日時: 2016年10月8日 土曜 13時ごろから日の入りまで 終わり時間は日が沈むころと思ってます。また、その後、気が合う人とお食事などにいくのはご自由にどうぞ。 2. 第1回の場所: 代々木公園のどこか TwitterでGPS情報つけて呟きます。あとは、お香でも炊いておくので、それを目印に来てください。わからなかったら、080-5519-0886 までお電話ください。雨天はどこかの喫茶店などに生きたいと思います。いいところがあったら教えてください。 3. 今後の日時: 月に一回程度、土日・祝日 雨天の対応は2と同様です。 4. 今後の場所: 暖かい季節は公園や海やどこかの広場で、寒い季節はどこかの会場で 座布団のある和室などをよく利用すると思います。たまにはお茶会として、ただおしゃべりすることもあるかもしれません。もちろんテーマはこれ↓に関するものですが。 5. 参加不参加、参加時間のこと: 予約・参加表明、ご連絡などは不要です。参加時間も、勝手に来て勝手に去っていただければ。ご挨拶していただいてもいいですし、しなくてもいいです。 6. どんな瞑想か: テーラワーダ仏教系の瞑想 なぜ限定するかというと、瞑想というと非常に幅広いのと、発起人の私はこれしか知らないからです。 スマナサーラ長老のマハーシ系 プラユキ師のチャルーンサティ パオ僧院系 グナラタラ長老系 プッタタート長老系  その他、昨今のマインドフルネスなど 7. 何をするのか: 瞑想実践、瞑想に関する雑談、原始仏教に関する雑談など 日ごろ自分の実践で疑問に思っているところがあるけど、 JTBA 行くまでもないし…といったようなことなども聞きやすい場になればと思います。もちろんし...

熱海仏法学舎でのヴィパッサナー瞑想合宿に参加したので情報共有

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熱海仏法学舎でのヴィパッサナー瞑想合宿の情報     日程と費用 9/16 から 9/20 までの四泊五日、日本テーラワーダ仏教協会(以下JTBAとする)の瞑想合宿に参加してきた。指導者はヤサ長老。費用は1泊×5,000円+3,000円。フルで参加すると23000円。 食事 食事は1日2回。朝7時からと午前11時から。食事の内容は精進料理で、肉も魚も含まれないが、美味しい。ごはんは玄米と白米を選べる。最後の日は玄米ときのこの炊き込みご飯だった。おやつとお茶類は常備されているので小腹がすけばつまめる環境。ただし必ず食事の瞑想を行う。食べる喜びのために、食欲のために食べるという行為ではない。ちなみにこんなに長い間魚も肉も食べずに過ごしたのは物心ついてから初めてではないかと思う。焼肉屋の息子なので、肉のない生活はなかったし、今もそのように過ごしているから。だが、合宿に行くたびに、肉魚は不要なのではないかと感じさせられる。ちなみに卵はある。このあたりの分類は気にしだすときりがなさそうだ。ちなみに、合宿の5日間で1.8キロ体重が落ちた。心だけでなくて、体にとっても健康に良い。 宿泊所 男女は分かれて宿泊する。男性は隣の毘沙門堂で大部屋。10人くらいまで寝られるスペース。女性は食堂のあたりの宿坊。 スケジュール 初日は2時集合、だが、まあばらばらに勝手に瞑想を始めている。 朝5時のお勤め(上座部仏教の三帰依文からいくつかのお経を読む)が約30分、続いて慈悲の瞑想をしてヴィパッサナー瞑想。ヴィパッサナーは10+50分。最後に回向の文かな?、そして食事。食事時間は約30分。 9時からは希望者のためのお坊さんのインタビュー。自分の実践について相談できる。 11時からは食事のお経をし、食事、食事の時間は約1時間 夜5時からお経と瞑想。その後男性は風呂。(女性は時間自由?) 寝るのは自由に。でも5時には必ず本堂に。 最終日はお昼の後、1時からお勤めをし、最後の瞑想をし、掃除を開始する。掃除が完了したら、尼僧さんの車やタクシーで相乗りして帰る。 というスケジュールだが、寝ている間以外はすべてヴィパッサナー瞑想を行う。 その他 :過ごし方など また、食事のスケジュールでもわかると思うが、瞑想に特化していて...

初期仏教、ヴィパッサナー瞑想、慈悲の瞑想などに関する本・リンク集

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テーラワーダ仏教、初期仏教、瞑想、などについての本やリンクをご紹介します。 比較的簡単なものを集めました。もっと難しい本などもありますが、興味を持ったら進めばいいと思います。仏典は紹介していません。スッタニパータとかダンマパダとかたくさんあります。これらにあたるのが王道ですが、なかなか難しいのも事実ですので、現代のわかりやすい本だけを紹介します。 またアルボムッレ・スマナサーラ長老とグナラタラ長老の本ばかりです。偏りはあります。以下のような考えを持っているため、このようにしています。もちろん、他の方の本をお読みになるのもいいと思います。 僕は瞑想オカンさんとは違って、一人の人を徹底的にコピーするところから始める。しきれはしないけど、そうすることによってその人の背骨みたいなのが僕に入るという感覚がある。その背骨が入れば、あたり一面がしっかり見える。他のことを評価できる。軸がないと何がなんだかわからなさそうで。 — じのん (@jinon) August 30, 2016 (本のアフィリエイトIDは、日本テーラワーダ仏教協会のものです。スマナサーラ長老の本の場合は著者に、それ以外は仏教協会に、とお考えいただければ。いずれにしても私個人には入りませんのでご安心ください。) 怒り、仕事についての本 まず、怒りについての対処から。怒りを制御できないと人は苦しむので、その苦しみが仏道などにひかれる理由になることが多いと思うからです。また、私自身、「怒らない練習」がこの世界に入った入口でした。 怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) アルボムッレ スマナサーラ サンガ 2006-07-18 売り上げランキング : 6983 Amazonで詳しく見る by G-Tools 怒らない練習 アルボムッレ・スマナサーラ しりあがり寿 サンガ 2013-04-25 売り上げランキング : 97567 Amazonで詳しく見る by G-Tools それから、仕事について。こちらにも悩まれている方が多いでしょう。 仕事でいちばん大切なこと アルボムッレ スマナサーラ マガジンハウス 2009-04-23 売り上げランキング : 34224 Amazonで詳しく見る ...

ヴィパッサナーについて: 座る瞑想、姿勢のゆがみ、ねじれの感覚

座る瞑想をしていて、これまで、姿勢が整っていないと感じてしまうことが多かった。 具体的にはゆがみの感覚があった。いつもだいたい体の左側に問題が出るのだが、左肩が下がっているように感じるし、左側の首から肩にかけて、前方にぐにゅっとねじれていると感じる。 数値で言えば、何十度かねじっているのではないか、というようなくらいに感じられていた。 こういう感覚があると、微かに動かして調整するということを繰り返していたし、どうも完ぺきではないという思いに付きまとわれていた。姿勢へのこだわりが非常に強かった。 (スマナサーラ長老の 手法 では、ヴィパッサナーをやるときは、《死体を演じる》ので、動かすのはご法度である。死体は動かない。動かしたいという欲、衝動自体に気付くことが重要ということ。それに反応してしまわずに) 瞑想中にはこれに限らず様々なことが生じるが、この思いは、感覚的に、はっきりとした【事実】のように感じられていた。私は姿勢の悪い人間であるから、当然のことのようにも思っていた。 が、最近、これ自体がある種の認知、幻覚なのではないかと思って、その感覚に気付き(サティという)を入れるようにした。 すると、数分以上はかかるが、少しずつ、その歪みの幅が小さくなっていくように感じるというか、その歪みの認知、その強烈さみたいなのが収まっていくというか、最後は、気にならなくなる。歪んでいないという感覚に至る。 いや、歪んでいる、ねじれている、という感覚が消える。 この間、一度も体を動かしていない。(その後、なぜか若干、腰回りなどがふっとずれたりする。ねじれ、ゆがみの感覚の底に、腰のことがあるのか)   まさに、事実と思いなしながらの、幻覚であった。 認識していた歪み、ねじれの強度からすれば幻覚であろうというのは、当然のことなのだが、そのリアリティが強烈すぎて、「絶対に歪んでいる」という感じになってしまうのが常だった。これは、座る瞑想を始めた当初から、波はあるが、いつもどこかで感じていたものだった。 それがふっと消えるなんて不思議。耐え難い感覚にさえなっていたのに。 そうして、この幻覚、ゆがみの認知が消えた後の自分の姿勢には、何ら疑問を感じない、ふっとまっすぐにいられるという状態になってた。 ヴィパッサナーは本当に、不思議な認...