施捨の随念
施捨の隨念とは、40あるサマタ瞑想の一つです。サマタ瞑想というのは、瞑想という言葉でイメージするあの瞑想っぽいです。つまりある対象を念じ、集中し、集中力を極限まで高めて、神秘的な感覚に至るような。ああいう瞑想。 (このブログではあまりサマタ瞑想は取上げてませんが、一応以下のような記事があります。ご参考まで。 サマタ瞑想の分類・禅定に達するか・どのような智慧を得られるか ) で、この施捨随念は何か良いこと、チャリティとかそういうことをしたときにします。というか、この随念をすると、さらに気分良くなれます。 よいことというのは、お寺へのお布施とかに限らず、電車で席を譲ったとか、国境なき医師団に寄付したとか、ホームレスの人に千円上げたとか、道を教えるのに付き合ってあげたとか、何でもよいと思います。何か、自分のものや労力を、見返りを求めることなく分け与えたときに。偽善かどうかとか一切考えず、分け与えた瞬間に、すでに善いことをしています。 意外と仏教は、自分の気分をよくしますね。 私もよく、これを唱えています。 日本語としては若干こなれていないので、好きにアレンジしていいと思います。自らのうちの、自我を削り取る、薄くする実践を確認するという作業かなと思います。 こちらに載っています。サマタ瞑想を知りたい方はお買い求めください。 ブッダの実践心理学―アビダンマ講義シリーズ〈第7巻〉瞑想と悟りの分析1 アルボムッレ・スマナサーラ 藤本 晃 サンガ 2012-10-23 売り上げランキング : 202500 Amazonで詳しく見る by G-Tools 施捨随念 これは私にとっては得です。確かに大得です。 衆生の心が「物惜しみ・ケチ」という汚れに抑えられているのに、 私は物惜しみ・ケチの汚れに染まらないで、在家生活をしている。 私の心は施捨に開かれている。施しの手を差し伸べている。 譲るのが好きです。頼りにされる性格です。 与えて分け合うことを喜びとします。