箭経 矢 スッタニパータ 第3章8 574-593


勝利の経 のときと同じく、二種並べて載せます。

親族や親しい人がなくなったときの悲しみについて。また、恋人などの大切な他者と別れたりしたときのことについてのものかもしれません。

まずは日本テーラワーダ仏教協会の下記のバージョンから。

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箭経


574.
徴もなし。予告もなし。この世の人の命というものは、
惨めなもの。儚いもの。その上、苦しみに陥っている。

575.
生まれたものが死なずにすむ、 その手立ては何もなし。
「老いて老いて、死に至る」。生きるものにはこのきまり。

576.
たわわに実った果実なら、夜明けとともに落ちるやも。
生まれた人も同じこと。死の恐れ、常にあり。

577.
陶工の作る土の器が、最後は必ず壊れる。
人の命もそんなもの。

578.
子供であれ大人であれ、愚者であれ賢者であれ、
みんな死の力に征服されている。死はみなの行き着くところ。

579.
死があの世にさらっていくのに、
父でも息子を救えない。親族でも親族を救えない。

580.
泣きわめく親族の目の前で、さらわれていくのを見よ。
人は孤独で死に至る。屠場に牽かれる牛のように。

581.
老いと死が常にこの世を攻撃する。
世のこの理を知る賢者には悲しみなし。

582.
どこから来た者か、またどこへ逝ったか、それをあなたは知らない。
両辺も見えないその人のために、あなたは無意味に嘆く。

583.
泣き叫ぶことで得する何かかがるならば、
それは頭の混乱、そして自己いじめ。智慧ある人ならこのように知る。

584.
こころのやすらぎは泣き崩れること、嘆き悲しむことでは得られない。
苦しみだけは増すばかり。身体はますます損なわれる。

585.
身はやつれ、顔色は悪くなる。 自分で自分を傷つける。
死者の供養にもならない悲しむことは、無駄なだけ。

586.
悲しみを断ち切らない者が、なおさら苦悩に陥る。
亡き人を嘆く人は、悲しみに呑み込まれる。

587.
摂理によって死んでいく他の人々も見るがよい。
死期が近づくと、生命は震えるもの。

588.
どのように思い願っても、起こることはその逆です。
(死なないようにと思っても、必ず死は訪れる。) 
無常とはそういうこと。世間の有様を観てごらん。

589.
もし百年、あるいはもっと長く人が生きるとしても、
親族が死別する。ついに自分も命を捨てる。

590.
それ故、覚者に学び、悲嘆を克服しよう。
逝った死者を見て、「この人はもはや得られない」と[知ろう] 。

591.
家についた火を水で消し去るように、
智慧に満ちた賢者、巧みな人は、 沸き起こった悲しみを、
風が綿花を吹き払うように、即座に消す。

592.
自分の憂い、未練、悲しみを引き抜くこと。
自分の幸福を求める者は、
刺さった[悲しみの]箭を引き抜くのである。

593.
箭を引き抜き、涼やかになり、こころの安らぎを得る。
一切の悲しみを乗り越えて、悩みなき寂静に達する。


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574.
この世における人々の命は、定まった相(すがた)なく どれだけ生きられるか解らない。惨(いた)ましく、短くて、苦悩をともなっている。

575.
生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。

576.
熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならぬ。かれらにはつねに死の怖れがある。

577.
たとえば、陶工のつくった土の器が終にはすべて破壊されてしまうように、人々の命もまたそのとおりである。

578.
若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。すべての者は必ず死に至る。

579.
かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、 父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。

580.
見よ。見まもっている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は屠所に引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去られる。

581.
このように世間の人々は死と老いとによって害われる。 それ故に賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。

582.
汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。汝は(生と死の) 両極を見きわめないで、いたずらに泣き悲しむ。

583.
迷妄にとらわれ自己を害なっている人が、 もしも泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば、賢者もそうするがよかろう。

584.
泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。ただかれにはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。

585.
みずから自己を害いながら、 身は瘠せて醜くなる。そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。

586.
人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕らわれてしまったのだ。

587.
見よ。他の[生きている]人々は、また自分のつくった業にしたがって死んで行く。かれら生あるものどもは死に捕らえられて、この世で慄えおののいている。

588.
ひとびとがいろいろと考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。 壊(やぶ)れて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ。

589.
たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々からも離れて、この世の生命を捨てるに至る。

590.
だから<尊敬さるべき人> の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては、「かれはもう私の力の及ばぬものなのだ」とさとって、嘆き悲しみを去れ。

591.
たとえば家に火がついているのを水で消し止めるように、そのように智慧ある聡明な賢者、立派な人は、悲しみが起ったのを速やかに滅ぼしてしまいなさい。--譬えば風が綿を吹き払うように。

592.
己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己(おの)が楽しみを求める人は、己が(煩悩の)矢を抜くべし。

593.
(煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。



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