サマタ瞑想の分類・禅定に達するか・どのような智慧を得られるか

備忘録として。

ブッダの実践心理学―アビダンマ講義シリーズ〈第7巻〉瞑想と悟りの分析1 から
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サマタ瞑想は40種あって、種類でも分けられるし、禅定に達するものと達しないものとしても分けられる。達しないものは、智慧が得られるとのこと。

僕としては禅定を求めているわけではないから、智慧が延びるのがよいと思うので、それらをピックアップしておきたい。

不浄遍
第1禅定まで
欲の人間にあっている。

施捨隨念
禅定に達する(第一?)
煩悩からの解放
「これは私にとっては得です。確かに大得です。衆生の心が「物惜しみ・ケチ」という汚れに抑えられているのに、私は物惜しみ・ケチの汚れに染まらないで、在家生活をしている。私の心は施捨に開かれている。施しの手を差し伸べている。譲るのが好きです。頼りにされる性格です。与えて分け合うことを喜びとします」

死隨念
禅定に達しない

死を念じる。自分の死を念じて確認する。だが自分の死は経験できないから、他人の死を見て、「自分も必ず同じ運命になるのだ」と念じる。
「私は必ず死ぬのだ」 「誰でも死ぬのだ」
「一切の衆生は死ぬのだ、 生きることの終点は死である」
「死という現象と出会うために、私もこの世にあるのだ」
欲・怒り・エゴ・嫉妬・無知などの感情が機能しない状態になることが狙い
執着を薄く

身起念
禅定に達しない
身体の様々な部品を瞑想する。髪の毛やつめ、など。心臓や筋肉、皮膚、歯、など32ほどのものを。
欲の煩悩を制御する(性欲?)。肉体に対する執着、未練、期待を捨てる。

四無量瞑想(慈悲喜捨)
禅定に達する。(細かく言うと、段階が、慈悲喜捨のそれぞれで違う)
罪を犯さない生き方になる。
自我の錯覚が破れる。

これはすでにやっている。慈悲の瞑想ということでアルボムッレさんのいろんな本に載っているが、 喜捨も入っているようだから。自我の錯覚についても若干感じるところがある。嫌いな人について、出てこなくなったりする(状況が変わると出てきたりする)。

食厭想
食べるものに対しての想いを意図的に変える訓練 
適量を必ず食べる。しかし、それは執着に値しない、厭うべき不浄なものであると観察する。
「食べたものを吐き出すと、それはどう見えるか」
愛着を持つ食べ物は、瞬時に不浄に代わってしまうのだと観察する。
食欲への注意。存在欲・渇愛をなくす。
(禅定は起きない?)

分別
禅定には達しない。
身体を地・水・火・風に区別。不浄であるとみる。
それぞれが「私」ではないとみる。
自我の錯覚を弱める。
如実知見が現れる。

ほか、仏隨念、法隨念、僧隨念、寂止隨念と天隨念も何か智慧が現れるっぽいがよくわからなかった。向いてないのかも。

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