「私の思考」というシムシティ、エイジオブエンパイア、マトリックス
こんにちはこんにちは。皆さんいかがお過ごしですか。
前回、こんな記事を書きました。
欲と必要性、仏道とシューティングゲーム
上の記事では瞑想をゲームに例えて書きましたが、ふと思いついたものがあったので、今回は「私の思考」をシムシティやエイジオブエンパイアに例えて書きます。具体的には、私らしさ、私の意見、主張、考えをゲームの中で行う「アイテム・呪文」などを使う行為・アクションとしてみなしてみます。
まずその前に、「「私」というものがある種の概念体系であることは論を俟たない」とは言えなくて、大抵の人が「?」となる意見かと思います。
私の考え、思考、これらが私自身である。我思う故に我ありであるから、我の思いが我自身である。基本的に人は、「私の感情や私の思考の内容が私である」という前提を持っていると思います。
仏教はそこが全然違ってて、んなもんは癖みたいなものだ、と言います。僕は癖であり、ゲームのようだと思うようになりました。そういう前提がこの文章にはあります。
これはどんなゲームかというと、ほしいと思ったものを手に入れようと考えたり、好ましいと思う意見を自分に組み込んだり、あるいは、好ましくない主張や好ましくない人を、攻撃する様々な意見を組み立てたりするゲームです。
僕たちの心ではこのような概念・意味・論理をアイテムとして使う「思考」が常に繰り広げられています。これらの基礎には感情エネルギーがあり、それを基に「思考」アイテムが作られるのですが、アイテムを作るとさらにその結果として感情エネルギーが支払われます。シムシティで工場を作ったり商業施設を作ったりするのと似てますね。エイジオブエンパイアで町の人を作って街を作るのとも似てます。
自分に苦しみを与える意見、言葉、感情を受け取ると、我々はそれらを攻撃し、拒絶しするアイテムを作ります。心の中には敵の価値を貶め、否定する言葉、感情、考え方が生まれ、実際の行動にも影響します。つまり拒絶のためのアイテムであり、呪文です。あるタイプの人は、それを唱えて日々を過ごします。エイジオブエンパイアで攻撃ユニットを作るのに似てます。歩兵、騎兵、戦車、ミサイルですね。
ま、大きく分ければ、目につきやすいのは拒絶と入手のアイテム・呪文群です。眠り系のものはちょっとわかりにくい。
娯楽のもの、たとえば芸術・音楽・映画、けもフレ、スプラトゥーンなんかもこれらに含まれます。 これらは楽しいという感情エネルギーを再生産するものです。これらに耽溺することで、楽しい感情の中に生きようとするわけです。劇中劇みたいな感じですね。
愛国心とかもそうですね。ヤフコメとかで暴れている右と左の人たちも、怒りと自尊心というエネルギーを生むための様々なアイテムで武装し、いつも呪文を唱えあってます。
不倫ネタとかもそうっすね。誰と誰が不倫した、ってことに対して、賛否両論戦わせるゲームが瞬時に発生します。みんな大好きですよね。
このように起動される様々な思考、見解を用いたゲームには一切の例外がなくて、僕の実践している仏教に関するものも同様にアイテム群です。禅問答やテーラワーダ、大乗を問わず、仏教経典の文章も、僕のお師匠のスマナサーラ長老の文章も、すべて同じようにアイテムです。
ま、僕らは例外なく、このゲーム大好きなんですよ。この思考という箱庭ゲーム、シミュレータ。
というかVR。何かあれば瞬時にプレイし始めます。瞬時に、コントローラー握ってます。
なぜか。それはこれらのアイテムが「このゲームをよしとしない唯一のもの」だからです。そしてそれはなぜか。「生きることを賞賛しない」唯一のアイテム群だからです。
だから究極的に優しくもなれるんですけどね。だって、自分の生を優先しないのだから。
自分の生を優先しないなら、ほしいという感情もおきないし、他者を拒絶することもできなくなります。欲望は自分が生きるためだし、拒絶も自分が生きるためですから。 根本的に、「私」を終わらせる流れのものは、生き物の生き方全てに水さすようなところがあるのです。夢を覚ますような効果です。
なので、僕の中でアイテム分類は、生の賛歌となっているもの、あるいは他者の生を否定するものという「生にまつわるアイテム」と生の価値をゼロとみなし、自己防衛すら否定する「輪廻を脱するアイテム」にわけられてます。
輪廻を脱するアイテムは、生の世界に対しては解毒剤になります。抗がん剤とも言えますが。
でも、生の世界のゲーム自体が、生き物の基本的な力に支えられています。生きていきたいという基本的な衝動が、このゲームの根底にあります。言ってみればゲーム機を動かす電気です。これが常に流れていて、僕らはゲームを動かしている。だから僕もまだこの世界からログアウトしきれてない。「私」が存在しているという、拭い難い思いがまだあります。そして、思考ゲームも、気を抜くとすぐに起動してしまいます。
いずれにしても、これを読んでいる人はもしかしたらすでにモーフィアスに出会ってて、 錠剤渡されてる可能性があります。危険…。
あ、そうそう、アイテムを使うと、感情エネルギーを再生産できるんですけど、脳みそはむちゃくちゃ疲れるんですよ。エンジンも使い続ければ衰えていくように、我々の脳みそも、これらのアイテムを使えば使うほど疲れていきます。なので眠りが必要になる。
この世では、一日7時間から8時間の眠りが必要だと言われていますが、それは多分、ゲーム世界で生きていればという条件のもとでの話だと思います。
(一日15時間くらい瞑想すると1時間位の睡眠で十分になりますので・・・逝っちゃった人間みたいですけど・・・)
以上、漫談でした。ここまでお付き合い頂いて誠にありがとうございます。
あ、最近書いてて思うのですが、私の使う例、古いですよね。仏道やる前から娯楽から離れちゃってて、さらにその距離が広がってるものですから…。20代の若い子、ここで書いた例、わかるのかな…?分かんなさそう…。マトリックスじゃなくて、マッドマックスにすればよかったかな…。
まあそれはそれとして、僕もいつかゲームを辞められればなあと思います。あなたももしそうなったらですね、すごいですよ、きっと、ものすごく楽しくなっちゃうと思います。今まで生きてきて一度も感じたことがないほど。
はあ、てか、これ書くの、楽しいゲームでした…。
前回、こんな記事を書きました。
欲と必要性、仏道とシューティングゲーム
上の記事では瞑想をゲームに例えて書きましたが、ふと思いついたものがあったので、今回は「私の思考」をシムシティやエイジオブエンパイアに例えて書きます。具体的には、私らしさ、私の意見、主張、考えをゲームの中で行う「アイテム・呪文」などを使う行為・アクションとしてみなしてみます。
この記事の前提みたいな考え方
まずその前に、「「私」というものがある種の概念体系であることは論を俟たない」とは言えなくて、大抵の人が「?」となる意見かと思います。
私の考え、思考、これらが私自身である。我思う故に我ありであるから、我の思いが我自身である。基本的に人は、「私の感情や私の思考の内容が私である」という前提を持っていると思います。
仏教はそこが全然違ってて、んなもんは癖みたいなものだ、と言います。僕は癖であり、ゲームのようだと思うようになりました。そういう前提がこの文章にはあります。
「私の思考」というゲーム
これはどんなゲームかというと、ほしいと思ったものを手に入れようと考えたり、好ましいと思う意見を自分に組み込んだり、あるいは、好ましくない主張や好ましくない人を、攻撃する様々な意見を組み立てたりするゲームです。
僕たちの心ではこのような概念・意味・論理をアイテムとして使う「思考」が常に繰り広げられています。これらの基礎には感情エネルギーがあり、それを基に「思考」アイテムが作られるのですが、アイテムを作るとさらにその結果として感情エネルギーが支払われます。シムシティで工場を作ったり商業施設を作ったりするのと似てますね。エイジオブエンパイアで町の人を作って街を作るのとも似てます。
攻撃呪文「私は拒絶する」または「あっちいけー!」
自分に苦しみを与える意見、言葉、感情を受け取ると、我々はそれらを攻撃し、拒絶しするアイテムを作ります。心の中には敵の価値を貶め、否定する言葉、感情、考え方が生まれ、実際の行動にも影響します。つまり拒絶のためのアイテムであり、呪文です。あるタイプの人は、それを唱えて日々を過ごします。エイジオブエンパイアで攻撃ユニットを作るのに似てます。歩兵、騎兵、戦車、ミサイルですね。
強化呪文「私は手に入れる」または「こっちこーい!」
同様に、好ましいものが現れれば、それをどう手に入れるかと考え始め、計画を作ったりします。好ましい意見であれば、それを心に位置づけるため、何度も心のなかで繰り返したりします。これもまた入手のための呪文です。あるタイプの人は、これをずっと繰り返します。シムシティの様々なビル、工場。スタジアム、図書館、などなど。回復呪文「私は眠る」または「めんどくさい」
それから、生きてて疲れると人は、ほとんどわからない形で眠りの呪文・アイテムが使用します。かなり迅速かつ強烈なので呪文とは思えないと思いますが、それを唱えてないとそう簡単には眠れません。子守唄ですね。日中だるいなー、眠いなーって人は、ちゃんと眠れてないんでしょうけど、襲われてる時は子守唄的な何かを唱えてると思います。逆に夜に眠れない人は、上の2つの呪文、多分拒絶側のものが鳴り響いているんじゃないかと推測します。ま、大きく分ければ、目につきやすいのは拒絶と入手のアイテム・呪文群です。眠り系のものはちょっとわかりにくい。
アイテムの入手経路 : 道具屋はどこか
で、我々が生きているこの意味世界には、多数の思考アイテムが売られています。親や教師、友達、会社、社会、国、民族から、我々は数多くのアイテムを受け取り、使い始めます。入手経路には、インターネット、SNSも含まれますね。これらからアイテムを、次から次へと仕入れます。毎日毎日。毎時間。いいねしてファボしてRTしてコメントして。娯楽のもの、たとえば芸術・音楽・映画、けもフレ、スプラトゥーンなんかもこれらに含まれます。 これらは楽しいという感情エネルギーを再生産するものです。これらに耽溺することで、楽しい感情の中に生きようとするわけです。劇中劇みたいな感じですね。
愛国心とかもそうですね。ヤフコメとかで暴れている右と左の人たちも、怒りと自尊心というエネルギーを生むための様々なアイテムで武装し、いつも呪文を唱えあってます。
不倫ネタとかもそうっすね。誰と誰が不倫した、ってことに対して、賛否両論戦わせるゲームが瞬時に発生します。みんな大好きですよね。
このように起動される様々な思考、見解を用いたゲームには一切の例外がなくて、僕の実践している仏教に関するものも同様にアイテム群です。禅問答やテーラワーダ、大乗を問わず、仏教経典の文章も、僕のお師匠のスマナサーラ長老の文章も、すべて同じようにアイテムです。
ま、僕らは例外なく、このゲーム大好きなんですよ。この思考という箱庭ゲーム、シミュレータ。
というかVR。何かあれば瞬時にプレイし始めます。瞬時に、コントローラー握ってます。
マトリックスの錠剤・モーフィアスは誰なのか
ただ、この論の弱いところもあって、反論を受けるとこかもしれませんが、中にはマトリックスでネオがモーフィアスからもらった錠剤みたいなものもあって、仏教アイテムはそういうものだと思ってます。これ飲むと、このゲームからログアウトしてしまう可能性がでてくるのです。まあ、飲むだけじゃダメなんですけどねー。なぜか。それはこれらのアイテムが「このゲームをよしとしない唯一のもの」だからです。そしてそれはなぜか。「生きることを賞賛しない」唯一のアイテム群だからです。
だから究極的に優しくもなれるんですけどね。だって、自分の生を優先しないのだから。
自分の生を優先しないなら、ほしいという感情もおきないし、他者を拒絶することもできなくなります。欲望は自分が生きるためだし、拒絶も自分が生きるためですから。 根本的に、「私」を終わらせる流れのものは、生き物の生き方全てに水さすようなところがあるのです。夢を覚ますような効果です。
なので、僕の中でアイテム分類は、生の賛歌となっているもの、あるいは他者の生を否定するものという「生にまつわるアイテム」と生の価値をゼロとみなし、自己防衛すら否定する「輪廻を脱するアイテム」にわけられてます。
輪廻を脱するアイテムは、生の世界に対しては解毒剤になります。抗がん剤とも言えますが。
でも、生の世界のゲーム自体が、生き物の基本的な力に支えられています。生きていきたいという基本的な衝動が、このゲームの根底にあります。言ってみればゲーム機を動かす電気です。これが常に流れていて、僕らはゲームを動かしている。だから僕もまだこの世界からログアウトしきれてない。「私」が存在しているという、拭い難い思いがまだあります。そして、思考ゲームも、気を抜くとすぐに起動してしまいます。
いずれにしても、これを読んでいる人はもしかしたらすでにモーフィアスに出会ってて、 錠剤渡されてる可能性があります。危険…。
まとめ
私たちは思考ゲームで使うアイテム群を、私自身の魂、私らしさ、私のスタイルと思っているわけですけど、それらはただ、世界から受け取ったもので、それを使って箱庭を作ってる、シムシティやってる、エイジオブエンパイアやってる、そんなふうに眺めてみる事もできるというお話です。すると、世界が全く違って見えてきます。あ、そうそう、アイテムを使うと、感情エネルギーを再生産できるんですけど、脳みそはむちゃくちゃ疲れるんですよ。エンジンも使い続ければ衰えていくように、我々の脳みそも、これらのアイテムを使えば使うほど疲れていきます。なので眠りが必要になる。
この世では、一日7時間から8時間の眠りが必要だと言われていますが、それは多分、ゲーム世界で生きていればという条件のもとでの話だと思います。
(一日15時間くらい瞑想すると1時間位の睡眠で十分になりますので・・・逝っちゃった人間みたいですけど・・・)
以上、漫談でした。ここまでお付き合い頂いて誠にありがとうございます。
あ、最近書いてて思うのですが、私の使う例、古いですよね。仏道やる前から娯楽から離れちゃってて、さらにその距離が広がってるものですから…。20代の若い子、ここで書いた例、わかるのかな…?分かんなさそう…。マトリックスじゃなくて、マッドマックスにすればよかったかな…。
まあそれはそれとして、僕もいつかゲームを辞められればなあと思います。あなたももしそうなったらですね、すごいですよ、きっと、ものすごく楽しくなっちゃうと思います。今まで生きてきて一度も感じたことがないほど。
はあ、てか、これ書くの、楽しいゲームでした…。
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